春や昔の夢のやう

小林秀雄を学ぶ池田塾に通う、歌と物語がすきな塾生の雑感です。

上海とコスモポリタン(再)

 タクシーは観光スポットを通りすぎ、中心地へと向かっていた。窓の外を私はじっと眺めている。雲の隙間からさしこむ光に、街全体が包まれていく。想像していたよりずっと速く、あっという間に懐かしさが立ち上がる。私は驚き、心なしか身体が火照った。早く街を歩きたかった。

 秋晴れの朝にもスモッグがかかっている。摩天楼は、八年前よりさらに増えていた。道路は昔よりきれいだ。それでもメインロードから外れて細い路地へ入ると、埃っぽい小さな商店から、美味しそうな匂いが漂ってくる。

 朝食を買おうと点心屋に並んでいると、頭の上でかさ、と音がした。プラタナスの葉だった。このあたりはもともとフランス租界で、プラタナスが沢山植わっている。プラタナスは背が高く、枝を広げるので、道路にアーチがかかり、街は木々にすっぽりと包まれる。私は手のひらの上に落ち葉をのせて、木漏れ日にゆれるのを眺めていた。風が乾いた音をたてている。夏にしか、帰省したことがなかったと思い出す。

 夏に近所の神社の森のなかや、商店街を歩いていると、突然デジャヴに襲われることがあった。例えば、夕闇にまぎれてゆく大きな公園。古い灰色の建物。寂れた路地に無数の小さな商店。壁には木漏れ日がゆれている。違う景色のなかにある、ひとつの景色が、日本の片隅で私を呼び止めた。日本だけではない。旅で行ったタイでも、インドでも。

 それは、上海の景色ではないだろうか。

 プラタナスの葉が、手をすりぬけて、はらりと地に落ちた。

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「小説を書くことのできる人は、人生の基盤を奪われたことのある人だけです。その経験に沿って、小説は書かれなくてはならない。あなたにとってそれは、ご自分の出自ではないのですか」

 かつて大物編集者だったという、私塾の古典の先生に原稿を見せた際の、それが最初の言葉だった。

 私は五歳のときに父と母といっしょに日本に来て、日本で育った。学生の頃は年に一度、帰省をしていたけれど、社会人になってからは、一度も上海の地を踏んだことはない。中国語が不得意だったので、親戚とも縁遠くなっていた。

 自分の出自について、それ以上考えたことはなかった。いや、「考えた事がなかった」と思っていた。気がつけば私は、八年振りに上海に降り立っていた。

 

 次の日も、そのまた次の日も、街を歩く。ときに一人で、ときに両親や親戚に連れられて。今や日本より物価が高く、人々はどことなく冴えない顔。観光スポットはどこも商業化が著しく、古い石造りの建物を前に露店がずらりと並び、同じようなお土産を売っている。そしてどこへ行っても芋を洗うような雑踏。この街の一体何がこんなに心を惹くのだろうか・・・。最初の日の感慨は消えず、むしろ強さを増してきている。もうここは、私の記憶のなかにある上海だった。ひどく変わってしまったはずなのに、何もかもがそのままだった。歩くごとに、私の心と、街が呼応する。おしゃべりをしているみたいだと思った。私は、この街が好きだった。

 忙しい交差点を行き交う自転車の群れ。街角の渋滞に、クラクションのシンフォニー。そのすぐ横に、頭を地べたにつけて拝んでいる乞食。雑踏の音。風の音。心が膨張していく。懐かしさの奥に、やわらかい、痛みを孕んだ景色。ただ懐かしさを連れてくるあの小さな幻を、原風景と呼んでいた。いつも会いたかった。その景色のすべてが、ここにある。私と、上海をつなぐもの。生活の機微も、土地の言葉も、人との繋がりも、何も無い。もうそれしか残っていない。それが私のかなしみだった。

 小林秀雄杭州」のなかに、中国で長く生活するロシア人の老婆の話が出てくる。中国で自在に暮らしながら、「私は人類ではない。somebodyだ」と老婆は寂しそうに言う。小林秀雄はその老婆の姿を、コスモポリタンと呼んだ。

 私はそれを読んで、小学生のときに好きな男の子に「お前、国、間違えてるよ」と揶揄われたときの、さみしい気持ちを思い出す。私はコスモポリタンだった。

 いま、宙に浮いていた身体が、静かに地へとおりてゆく。例えこの先ずっと日本に住み、やがて死ぬとしても、あるいは上海が変わりはてて今の面影がまるでなくなってしまうとしても、それで構わないと思った。少なくとも一度は、故郷を見つけることができたのだ。

 帰りの飛行機を待つ上海浦東国際空港で、私は、自分と同じ華僑二世の子供たちのことを思わずにはいられなかった。幼くして外国へ渡航した子供たちの多くが、やはり説明のつかぬような孤独や寂しさを感じながら、そのことに気づくことなく生きているだろう。けれど記憶はいつも、足跡を残してゆく。あらゆる場所から、ささやきかけている。そこから先は誰にとっても、故郷は「見つける」ものではないだろうか。光を浴びたかなしみは、やがて透明になる。私はもう、コスモポリタンではない。

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